平行世界 1
司の誕生日にだけ帰国する母は、毎年司が欲しがっている物をプレゼントとして用意してくれた。
誕生日の一週間前に電話がかかってきて、「何が欲しいですか」と聞いてくれるのだ。
年に一度しか会えず、滅多に聞く事が出来ない母からの電話こそが何よりの誕生日プレゼントだったが、10歳を超えると素直に言うのも気恥ずかしく、ぶっきらぼうに欲しくもない物を強請った。
そうして、当日になると母が司が希望した物を携えて屋敷に帰って来る。
誕生日だけはこの広大で使用人しかいない屋敷に、司と、姉の椿と、母楓の父を除いた家族全員が集まるのだった。
司が15歳になる年、楓はプレゼントではなく小さな少女を連れて帰ってきた。
司も椿も母が連れてきた見知らぬ少女の存在に驚いた。
夕方から行われるパーティー以外は家族で過ごすと決められており、部外者は一切屋敷内に呼ばれたりすることがないからだ。
それなのに道明寺邸に母に手を引かれている少女は一体?
二人の疑問と不審の視線に、母がゆったりとした口調で言った。
「この子の名前はつくし。今日からあなた達の妹になる子です」
朝が苦手な司は寝起きが非常に悪く、使用人たちは起こすのに手を焼いた。
無理に起こせば布団の中から鉄拳が飛んできて、高価な花瓶や置物が八つ当たりに壊される。慎重に、ゆっくりと様子を伺いながら起こすのだ。
我儘な坊ちゃんを起こすのは使用人たちにとって朝一番の大仕事だったが、それも15歳の年でお役御免となった。
何故ならその年から道明寺にやってきた妹がその役目を引き受けたからだ。
時刻は朝の7時。
起きるには早すぎず遅すぎないその時間に、中にいる人間のことなど考えずに大きな音を立てて扉が開かれる。
部屋に入ってすぐ横に見えるベッドの住人は起きた様子はなく、こんもりと山を作っていた。それを見た少女はにやりと笑い、助走をつけて山に向かってダイブした。
スプリングの効いたベッドが少女の重みを受け止めてグンと沈む。
「司ッ!いつまで寝てんの、起きて起きてっ!」
見事山の頂上にダイブした少女―――つくしは、シーツから覗く黒い巻き毛を引っ張った。
立て続けの猛攻を受け、流石の司もそのまま寝る事も出来ず悲鳴を上げた。
「つくし・・・てめぇッ!毎朝毎朝、子供じゃあるめーし飛び乗るんじゃねぇよ!髪も引っ張んな!」
つくしの攻撃にすっかり目が覚めてしまった司は、今だあちこちと髪の毛を引っ張り続ける手を払いのける。
これまで司を起こすのは使用人の仕事だったのに、司の部屋の前でどう起こすか悩んでいた使用人たちの話をたまたま通りがったつくしが耳にして以来、早起きは得意だと豪語する妹が引き受けてしまった。
その話し込んでいた使用人たちをクビにしてやると息巻いていた司だったが、使用人と仲の良い口の堅い妹が正直に話すわけもなく、犯人捜しは迷宮入りしたままだった。
「起きない司が悪いんでしょ。今月だけで目覚まし時計壊したの何個目?」
ベッドの傍に視線をやれば、司が思い切り叩きつけた時計だった物体の欠片が床に飛び散っていた。使用人やつくしに起こさせていた司も一応は目覚まし時計を枕元に用意していた。
しかし、ジリジリと電子音が数秒も鳴らないうちに寝ぼけた司が壁や床に投げ飛ばしてしまうので、目覚まし時計としての役割を果たせずにいるのだった。
起きて早々小姑のような小言を聞かされ、司は両手で耳を塞いで舌打ちをする。
「ッチ、うるせぇな・・・、どうせお前が起こしに来るんだから時計なんて置かなきゃいいだろ」
「あー!またそんな事言って。自分で起きる努力くらいしなよ。いつまでも妹に頼らないでよね、オニイチャン?」
今年で、妹のつくしは17歳になる。
14歳で道明寺家の養子になってから実に3年もの月日が流れていた。
姉の椿は突然出来た妹の登場に驚いたのも最初だけで、しばらくの間、可愛い妹にべったりとくっついていた。寝食を共にし、学校も一緒に登校。授業が終われば二人で表参道へショッピングに出かけた。
つくしも、過剰とも思える優しさを与えてくれる椿を嬉しそうに受け入れていた。その二人の姿は、まるで生まれてきた時からそうであったような仲の良い姉妹に見えた。
一方の司はと言うと、当然姉のようにすぐに馴染む事なんて出来るはずもなかった。
当時司は14歳で思春期真っ只中。反抗期の全盛期という事も手伝い、どこの誰とも知れぬ少女を自分の妹として認めなかった。
口もきかなかったし、目も合わせなかった。まるでそこには何も存在していないかのように振舞ったのだ。
しかし、母が拾ってきた少女は何の取柄もない至って普通の女の子に見えたのだが、
最も荒み、話しかけるのも骨一本折れるのを覚悟しておかなければならないような中学生時代の司相手に平然としていた。
おはよう、と話しかけられても司は応じなかったが、毎日少しずつ何かしら言葉をかけてきた。あまりのしつこさに司が凄んでみても効果はなく、むしろ反応があったことに喜びにっこりと微笑んでみせた。
そんな日々を繰り返しているうちに、無視するのも馬鹿馬鹿しくなり少しずつ会話を交わすようになった。段々と話す回数も増え、純粋に兄として慕ってくるつくしが昔の自分と重なって見えたのだ。
肉親の愛情に餓える子供。
司はどう愛してやればいいのかわからなかったが、姉が自分にそうしてくれたようにこの妹に接してやろうと思った。
三年経った今もどうして楓がつくしを養子に迎えたのか明確な理由を聞いていない。
いつ、どこで、なぜ。
気にならないと言ったら嘘になるが、母を問い詰めて暴こうとも思わなかった。
何故かは判らないが、真実を知れば今の環境、関係が崩れるような気がしたのだ。
「ほらほら、早くしないと朝ご飯食べ損ねちゃうよ」
「だったらさっさと上からどけッ」
「キャッ」
腹筋を使って勢いよく上半身を起こした司は乗りかかったままのつくしを押し倒す。
上下逆転したことにより、つくしの黒檀の艶やかな髪が白いシーツに広がる。
当時オカッパ頭だった髪も今では腰に届こうかという長さまで伸びた。
窓から差し込む朝陽を浴びてきらきらと輝いてるのは、毎晩椿が櫛で丁寧に梳いてやっていた賜物か。
今度はつくしが圧し掛かられ、あっという間に立場が逆転して目を瞬かせている。
そんなつくしを見下ろし、両手を握る手に力がぐっと籠った。
大きな瞳は司の心の内まで見透かしそうで、眩しそうに目を細めた。
「・・・不細工な面晒してんじゃねーよ」
「痛ッ」
つくしから身を離し、バシッと額を弾く。
ベッドの上に座り込んだまま騒ぐつくしを背に、その場で適当な服に素早く着替える。
それを見たつくしがまた騒ぎ出した。
「ちょっと!いくら兄妹だからって目の前で着替え始めないでよ変態!」
ちらりと背後のつくしに視線をやると、大きな瞳を羞恥に吊り上げていた。
枕から半分のぞく顔は、ほんのりと朱色に染まっていた。
過去はどうであれ、司の知る妹は天邪鬼で恥かしがり屋な男に免疫のない、初心な少女だ。同じ年頃の男性と比べて、ジムで鍛えられたがっしりとした身体と恵まれた容姿は確かに目に毒だろう。
「ここはどこだ?俺の部屋だろ。自分の部屋で何しようが俺の勝手だ。それを言うなら部屋に勝手に入ってきて毎日寝込みを襲ってくるお前の方が変態だな」
「なっ、な・・・!」
パクパクと鯉のように口を動かし、言葉の出ないつくしを残したまま部屋を出た。
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